2021年12月18日に急逝した、歌手で女優の神田沙也加(かんださやか)。
神田正輝を父に、松田聖子を母に持つ、超ビッグな有名人という立ち位置の神田沙也加でしたが、一体どういう人生を歩んできたのでしょうか。
この記事では、神田沙也加の祖母(おばあちゃん)、育ての親や育ち、離婚歴と結婚歴について紹介します。
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神田沙也加の育ての親、育ちは?
まずは、神田沙也加(かんださやか)の育ての親や育ちについて紹介します。
神田沙也加は、言わずもがな神田正輝(かんだまさき)と松田聖子(まつだせいこ)の一人娘。
生前は松田聖子との共演も多く、母子仲が良い姿を見せてくれましたよね。
しかし、神田沙也加を育てたのは、松田聖子ではなく父親の神田正輝だというのです。
松田聖子は、1986年に神田沙也加を出産。
しかし同じ頃、松田聖子はアメリカ進出を考えており、産後に体調が安定すると頻繁に渡米したのです。
幼子よりも自身のアメリカ進出を優先する松田聖子を支えたのは、神田正輝と松田聖子の実母でした。
自分の夢を追うことを第一に考えていた松田聖子は、1989年2月に渡米した際、近藤正彦(こんどうまさひこ)との密会写真が撮られました。
その後も、渡米するたびに数々のスキャンダルを撮られた松田聖子。
松田聖子の渡米のたびに、神田沙也加に付きっきりで寄り添ったのが、父親・神田正輝だといいます。
もちろん、神田正輝も仕事を持っているので、普段は松田聖子の実家で過ごしていた神田沙也加。
神田正輝は仕事を終えると一目散に松田聖子の実家へ行き、神田沙也加に寄り添ったといいます。
とても良い父親ですよね!
とはいえ、神田沙也加の幼少期は「有名人の娘」というだけあって、一般人には想像できないような苦労の連続でした。
- 小学校の林間学校には、松田聖子のマネージャーが同行
- 小学校の運動会は、学校側が警備員を配置
- 友人に松田聖子のコンサートチケットやサインを頼まれる
- 親が有名人という理由だけで壮絶なイジメに遭う
- 中学校を4回も転校した
有名人同士が結婚して子どもをもうけているのは、よくあること。
しかし、神田沙也加がここまで苦労したのは、松田聖子が母親よりも女である自分を優先したからだとされています。
神田沙也加は、単なる被害者ですね。
しかし、そんな不安定な神田沙也加がここまで生きてこられたのは、全身全霊で愛情を注いでくれた神田正輝と祖母のおかげかもしれません。
神田沙也加の祖母(おばあちゃん)は?
続いて、神田沙也加(かんださやか)の祖母について紹介します。
神田沙也加の祖母は、一子さんといいます。
祖母・一子さんは、幼少期の神田沙也加を支え続けた人物です。
既述の通り、神田沙也加は自由奔放な松田聖子に育てられたわけではなく、父親・神田正輝や松田聖子の実母・一子さんに育てられています。
父親・神田正輝が仕事で不在の日は、神田沙也加の親代わりは祖母・一子さん。
一般的には「祖父母は孫に甘いパターン」が非常に多いですが、祖母・一子さんは神田沙也加を育てて行かなければならないプレッシャーのようなものがあったのでしょう。
優しいだけではなく、親のように厳しい時もあったといいます。
祖母・一子さんは、まだ小学生の神田沙也加に以下のような言葉を書けます。
歌手になるのだけはやめなさい
神田沙也加が歌手になれば、母親・松田聖子と比較されるのは当然。
その重圧に耐えていく道を、大事な孫娘に勧めはしませんよね。
しかし周知の通り、神田沙也加は歌手として活動を始めました。
とはいえ、想うようなヒットを残すことはできず、デビュー曲を含め4作で歌手としての活動は終了しています。
実はデビュー当時、神田沙也加の祖母・一子さんが所属事務所の社長を務めていました。
変わった環境で育った神田沙也加だったので、自分が側にいることで守ってあげたいと思っていたのかもしれませんね。
しかし、神田沙也加に数々のスキャンダルが出たことで祖母・一子さんは激怒。
神田沙也加に支払うはずの給料を差し押さえしたと報じられています。
この措置に神田沙也加も激怒し、ひとり暮らしを始めました。
約1年半の芸能活動休業を経て、2006年にSAYAKA 名義で再デビューを果たすと、大地真央(だいちまお)の助言もありミュージカル女優へ転身。
2014年に公開された映画「アナと雪の女王」でアナ役日本語吹き替え版声優を務め、知名度が一気に上昇したことは言うまでもありません。
自らの人生を自らで切り開いた神田沙也加。
その芯の強さは、祖母・一子さんが(もちろん、父親・神田正輝もですが)真剣に神田沙也加を育ててくれたからかもしれないですね。
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神田沙也加の結婚歴と離婚歴は?
最後に、神田沙也加(かんださやか)の結婚歴と離婚歴について紹介します。
神田沙也加は、2017年4月に村田充(むらたみつ)と結婚しました。
ふたりは2016年夏の舞台「ダンガンロンパ THE STAGE〜希望の学園と絶望の高校生〜」で共演後に意気投合し、交際に発展。
お付き合い開始から結婚まで約8ヶ月のスピード婚として、当時話題になりました!
以下の神田沙也加と村田充、神田沙也加の実父・神田正輝とのスリーショットは、とても微笑ましいですよね!
2017年5月13日には、自身のInstagramを更新。
ハワイで挙式と新婚旅行を済ませたことを報告し、幸せいっぱいな新婚生活を送っていることをファンに報告しました。
しかし、2017年9月24日、村田充が自身のブログを更新。
耳の病気が原因で、芸能活動を休止することを発表。
結婚してすぐ、一家の大黒柱となる男性側が仕事を休業するとなると、不穏な空気が漂うのは当然。
実際、神田沙也加と村田充の結婚生活に対しても、「大丈夫なの?」と心配する声が後を絶ちませんでした。
しかし、そんな私たちの不安を他所に2019年6月7日、朗読劇『私の頭の中の消しゴム 11th Letter』で村田充は仕事に復帰。
夫婦仲が良好なことを伺わせる様子が見れ、安堵したファンも多かったのではないでしょうか。
しかし安心したのもつかの間、同年12月4日、神田沙也加に当時ジャニーズジュニアに所属していた秋山大河(あきやまたいが)との不倫が報じられました。
しかし後に、この時すでに、神田沙也加と村田充の離婚が成立していたことが報じられ、ふたりの離婚理由は神田沙也加の不倫ではないことが公になりました。
神田沙也加と村田充の離婚理由は、子どもが欲しかった村田充と子どもは欲しくない神田沙也加の考えが、一向に縮まらなかったことです。
神田沙也加は壮絶な幼少期を送っているので、自分の子どもに同じ思いをさせたくはないという想いが強かったといいます。
一方の村田充は、一般的に考える「好きな人との子どもが欲しい」という考えをどうしても譲れなかったみたいですね。
神田沙也加と村田充は、結婚前は「将来的には子どもを」という共通の認識があったようですが、村田充が家庭に入ったことで一家の大黒柱は神田沙也加に。
もちろん、妊娠出産をするのは神田沙也加。
したがって、自分が働いていない期間の生計をどう立てていくのかという部分についても、不安があったといいます。
子どもの問題は難しいですよね。
村田充が病気を発症しなければ、今頃どうなっていたのでしょうか…。
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まとめ
この記事では、神田沙也加(かんださやか)の祖母、育ての親、離婚歴と結婚歴について紹介しました。
有名人の娘ということで、壮絶な過去があることが分かりました。
とはいえ、二世タレント枠ではなく、自らの力で芸能界での確実な地位を得ていただけに、先日の訃報には驚きを隠せませんでしたよね。
天国では普通の女性として、生き生きと羽を伸ばして休んで欲しいですね。
ご冥福をお祈りいたします。