石原軍団の一員として知られている、俳優・神田正輝(かんだまさき)。
先日急逝した、ミュージカル女優で歌手の神田沙也加(かんださやか)の実の父親であることも知られています。
この記事では、神田正輝のwikiや昔、両親、老けたのか、劣化やシミについて紹介します。
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神田正輝のwikiプロフィール
まずは、神田正輝(かんだまさき)wikiプロフィールです。
名前:神田正輝(かんだまさき)
生年月日:1950年12月21日
年齢:71歳(2021年現在)
血液型:A型
身長:178cm
体重:70kg
出身地:東京都港区
学歴:日本大学芸術学部映画学科卒業
職業:俳優
所属:元石原プロモーション取締役、現在はフリーで活動
趣味:スキー、スキューバーダイビング
特技:テニス、ゴルフ、乗馬、カメラ
好きな食べ物:焼肉
神田正輝は、いまや日本を代表する名俳優。
しかし芸能界入りする前の将来の夢は、スキー好きも相まって山小屋の経営者でした。
転機が訪れたのは1973年(23歳の時)。
知人を通じて石原裕次郎(いしはらゆうじろう)から「俳優をやる気はないか?」と声をかけられたのです!
しかし、神田正輝は「男なのに化粧をするのは嫌だ」という理由で、石原裕次郎の誘いを断りました。
「あの石原裕次郎直々の誘いを断るだなんて!」と感じた、大学時代の友人らが神田正輝を説得。
そのまた1週間後、石原裕次郎が神田正輝に以下のような言葉を投げかけました。
冷やかしでドラマ1本に出てみないか?
石原裕次郎の2回目の直談判に、神田正輝は以下のように答えました。
冷やかしでいいなら1本やりますよ
これが、後に石原軍団の一員として大きく活躍する俳優・神田正輝の原点です。
ちなみに神田正輝は、「ドラマ1本」というのを「ドラマ1話」だと勘違いしていました。
実際にはドラマ1作すべての回に出演し、その後7年間は休みがなかったといいます。
後述しますが、神田正輝の母親は大女優。
だからこそ石原裕次郎は神田正輝の実力を見越して、直談判に来たのかもしれないですね!
神田正輝の両親は?
続いて、神田正輝(かんだまさき)の両親について紹介します。
神田正輝の父親は石油販売会社の二代目社長・神田正次、神田正輝の母親は女優として活躍していた旭輝子(あさひ てるこ)です。
父親・神田正次と母親・旭輝子が出会ったきっかけは不明ですが、ふたりが出会った頃の神田正次は既に妻子持ちという身。
現在の一般論でいくと、妻子持ちの神田正次と独身の旭輝子から生まれた神田正輝は、「不倫の末に誕生した子ども?!」ということになりますよね。
しかし、当時の日本は一夫多妻制が多く存在していた時代。
したがって神田正次と旭輝子の関係性も、そこまで稀なものではありませんでした。
むしろ、お金持ち男性が「妾(めかけ)」として独身女性を囲うことはステータスとみなされていた時代。
したがって、社長業を営んでいた神田正次にとって旭輝子という妾の存在は、いたって普通のことだったに違いありません。
とはいえ、ふたりの関係性は、旭輝子が妊娠をしても変わりませんでした。
つまり、神田正次と旭輝子に婚姻関係が結ばれることは、生涯に渡ってなかったのです。
したがって、神田正輝は夫婦の婚外子という形で育てられて行くことになります。
養育費はもらっていたにせよ、なんだか悲しい現実ですよね。
神田正輝の幼少期に関してはあまり知られていませんが、旭輝子が女手一つで大事に育てていたに違いありません。
そんな母親・旭輝子について、少し紹介していきます。
旭輝子は、1937年に宝塚音楽学校の入学試験に合格するも、住まいが東京だったため、兵庫県宝塚市にある同学校に通うことはできないと進学を断念。
しかし、夢を捨てきれず、1938年に松竹少女歌劇学校に入学。
1939年、松竹少女歌劇団に6回生として入団し、同歌劇団で約8年間も活躍しました。
その後はテレビドラマや映画、舞台など、さまざまな場面で女優として活躍するも、2001年12月31日に77歳で他界しています。
亡くなった際にはたくさんの花束が飾られるなど、当時をときめくスターだったことは言うまでもありません。
神田正輝が日本を代表する俳優になったのは、女優として大成した母親・旭輝子のDNAが濃かったのかもしれませんね!
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神田正輝の昔は?
続いて、神田正輝(かんだまさき)の昔について紹介します。
実は神田正輝の幼少期に関しては、あまり情報がありません。
中学時代の神田正輝は、バスケットボール部・陸上部・水泳部を掛け持ちする、パワフルな少年でした。
芸能界の最前線で何十年と活躍しているパワフルさは、幼少期の頃に出来上がっていたのかもしれないですね!
神奈川県にある日本大学高等学校に進学した神田正輝は、運動神経が抜群に良く、夏はダイビング、冬はスキーと、季節に合ったスポーツを楽しむ少年でした。
当時の将来の夢がカメラマンだった神田正輝は、日本大学芸術学部映画学科に入学し、映像関係の勉強をしていました。
大学時代は持ち前の運動神経の良さから、アメリカの「K2」というスキーメーカーのテストスキーヤーのアルバイトをしていました。
テストスキーヤ―の仕事は危険が伴うものなので、給料がとても高かったのだとか。
しかもアメリカのメーカーのアルバイトだったので、アメリカのスキー場に実際に行って、ゲレンデを滑ったというから驚きですよね!
プロ顔負けのスキーレベルだったことは、いうまでもありません。
スキーに携わるアルバイトをしているうちに、将来の夢が「山小屋などを経営したい!」とに変わります。
しかしどういうわけか、その後スキーが嫌いになり、スキーに携わる仕事を一切やめています。
好きなものを仕事にしていくのは、本当に大変ですよね。
ちなみにスキーで体を思いっきり使って動いていた時は、人生で最大の食欲があったのだとか。
なんでも、1,500gのステーキを一人で食べ切ることができたり、ホールケーキを丸ごと食べることができたのだとか!
あの神田正輝も、20歳前後の若造の頃は普通の男の子だったんだな~と思いますね!
神田正輝は老けた?劣化やシミ
最後に、神田正輝(かんだまさき)は劣化やシミについて紹介します。
神田正輝は所属していた石原プロが解散後、表舞台に姿を見せる機会が減りました。
2021年12月現在、定期的に見かける番組といえば「朝だ!生です旅サラダ(テレビ朝日系)」くらい。
とはいえ、神田正輝が老けたというのは2010年頃から言われていました。
- 旅サラダの神田正輝って老けた?
- 見ないうちに白髪が増えた…?
- 神田正輝、ちょっと痩せた?
- 前の恰幅が良い時のほうが良かったな~
1950年生まれの神田正輝は、2010年当時60歳。
「老けた」「白髪が増えた」「痩せた」といわれても仕方ない年齢ではありますよね。
2010年から11年が経過している2021年現在は、劣化がさらに進行していてもおかしくはありません。
ちなみに、以下は若かりし頃の神田正輝です。
現在の面影がありつつ、やはり若いですね!
こちらは、現在の神田正輝です。
たしかに老けはしましたが、年相応に見えますね!
とてもカッコイイです!
ちなみに神田正輝には、以下のようなハゲ画像も出回っています。
正真正銘のハゲですが、顔を見ると若くみえますよね。
神田正輝は、もしかしたら若いうちに薄毛が進行していたのかもしれません。
現在の生え際を見るととても自然なので、育毛か何かをやられているのかもしれませんね!
神田正輝には、「シミがすごい」という噂もあります。
たしかに、恐らく公の場に登場している写真にも関わらず、シミが隠れていないのがわかります。
とはいえ、還暦越えのいわゆるオジサンにシミひとつないのは現実味がないですし、神田正輝は年相応に見せるため、あえてシミを隠していないのかもしれないですね!
自然体な神田正輝だからこそ、人気があるのかもしれません。
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まとめ
この記事では、神田正輝(かんだまさき)のwikiや昔、両親、劣化やシミについて紹介しました。
娘・神田沙也加の幼少期が壮絶だといわれていますが、神田正輝の幼少期も一般的ではないことがわかりましたね。
自分の力で芸能界でここまで上りつめたのは、本当に尊敬です!
老けた?劣化?に関しても、年相応の変化だと思われます。
ハゲに関しては衝撃でしたが、現在は恐らく育毛などをしていて地毛に近いのでしょうね!
愛娘を亡くして傷心しているでしょうが、これからも神田正輝を応援していきましょう。